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日本史のお話。

ネットで眺めた程度の知識ですけど、なりゆき関係から平安中~末期あたりの人間関係で印象深いお話をひとつ。


時代は藤原道長の全盛期から少しあとで且つ院政もまだはじまらない、歴史の教科書からするとエアポケットのような時代でしょうか? 藤原道長の死後から白河法皇が院政を開始する少し前あたりの間のお話です。登場人物は道長の嫡男・藤原頼通と彼の異母弟である藤原能信。そして後朱雀天皇の第二親王・尊仁親王。


頼通は藤氏長者として最年少で関白となり、順風満帆の人生を歩んでおりました。一方異母弟の能信は生来の気の強さから正妻腹の兄弟達に反発し、同母兄弟達が頼通とうまくやっているのをしり目に、一人孤高の道を貫いておりました。
時の帝は後朱雀帝が崩御し、東宮である敦良親王が即位。後冷泉天皇となります。彼の母親は頼通の同母妹。このとき後冷泉には頼通の娘が入内しておりましたが男子がおらず、東宮に異母弟・尊仁親王がたてられます。尊仁親王の母親は内親王で摂関家とは疎遠でありましたが、能信が擁立に奔走したそうです。とはいえ公卿たちは頼通に気を使ってか、誰も自分の娘を東宮妃にあげないようなありさまで、ここでも能信が妻の姪を養女として入内させます。こんな調子で能信は東宮大夫として二十年間、たった一人で尊仁親王を支援し続けます。しかし彼は尊仁親王の即位を見ないまま亡くなってしまいます。
やがて後冷泉天皇が、頼通の娘との間に皇子を設けることがないまま崩御。
この状況を受けた頼通は致仕を申出て受諾されます。そして尊仁親王は二十三年間の東宮時代を経て三十五歳で即位します。後三条天皇です。
百七十年ぶりに誕生した藤家を外戚に持たない壮年の帝は自らの意志で政治改革を行い、摂関政治終焉への足掛かりを作ります。しかし彼は在位五年、四十歳の若さで亡くなってしまいます。そのあとを継いだのが第一親王であり「治天の君」として有名な白河天皇です。


この三人はそれぞれによい思いはしたけど、満願成就でないところが運命的で面白いなあと思うのですよ。
頼通はなに不自由ない環境にありながら、娘が皇子を産むことができなかったという一点で父親のように成りきれなかった。ですが後朱雀帝が崩御したところでばたばたせずに致仕を申出る態度は私はわりと好きです。潔いというと綺麗すぎるけど、往生際がいいな(?)と思います。
後三条天皇はもう少し長生きできたらとは思うのですが、二十三年間耐えつづけた辛抱強さと、腐ることのない前向きな精神力が好きです。
そして能信はせめて後三条の即位を見ることができればとは思うのですが、色々な意味で信念&執念の人ですね。意志の強さと勝ち気さが好きです。
ちなみに白河天皇は、亡くなった能信に太政大臣の位を贈っております。恩に報いるように父の後三条から言われていたんでしょうね。白河天皇は後三条天皇のやり方を継承して摂関政治を終焉に導きます。とはいえ父親の意志を継いだというだけではなく、若干私情含みもありそうですが(笑)。処刑をしない(ぶん随分ましな)ヘンリー八世だと思う<この人。


実は拙作「なりゆき斎王」の東宮様は、こちらの後三条天皇をモデルにさせていただきました。出生の曰くは言わずと知れた崇徳天皇ですけどね。
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小田菜摘

Author:小田菜摘
コバルト文庫、ビーズログ文庫で少女小説を書かせていただいております。
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